相互作用が生まれない世界
「誰か」がいないことがつらい。
私が欲しいのは、心が動いたときに感情を共有できる相手だ。
美しいもの、おもしろいものを見たとき、相手にも知って欲しいとか、感じたことをもっと話し合いたいとか、相手はどう思うんだろうとか。
たぶん私が伝えたい、と思う相手はすごく少ない。
前(中高生の頃)はもっとたくさんの人に伝えたがっていたように思う。
大学生になってから、伝えたい対象がどんどんどんどん減っていって、大人になった私が伝えたいと感じる相手は大事な存在の男の子にほぼ限られるようになった。
「相手」の不在ばかりを感じている。
やっとすごく好きになった相手は猛烈に時間がない人で(私の優先順位もどんどん下がっていったのを感じた。最後はスプラトゥーンより下になった)。
想いを伝えることは、相手を困らせることだった。
伝えたい想いや共有したい思いつきばかりが頭に浮かんで、ほとんどが「でも、そんなことを言っても迷惑だろう」という感情で消えていった。
いま面白いことがあった時に共有したいと思う友達は、男の子で、もうすぐ結婚する。
時間がすぎればすぎるほど、私がいつでもどこでもメールできる相手じゃなくなってきていると感じる。
以上、伝えたい相手終了。
いま私は、感情とことばを共有できる相手を強く求めているけれど、今までだってそんな「相手」になってくれた人はそう多くない。
というより大学時代の恋人一人しかいないんじゃないかと思う。
その人から約三年半毎日二時間もらっていた電話の時間分、私は自分でいられたんだと思った。
果たしてこのあとの人生でそういう「誰か」(私が話したいと思えて、私に労力を使ってくれる人)に会うことができるのだろうか。
「誰か」が満たされないと、どれだけ仕事がうまくいっても、友達との飲み会が楽しくても、綺麗な色のネイルを塗っていても私は不幸で泣きたくなる。
伝えたい伝えられたい感じたい聞きたい変化したい。